「知らない部屋だ・・・」
口からはそんな言葉が漏れた。不意に全身を激痛が襲ってくる。焼け付くような、それでいて凍え痺れるような、体験したことのない激痛だった。体を動かすことさえ、ままならない。
手を動かそうとして、右のそれが誰かに握られていることに気付く。痛む首を無理矢理動かしてそちらを見れば、ブロンズ髪の美女が、俺の手を大事そうに握りながらベッドに凭れ掛かるように眠っていた。
その様子に何故か安堵を覚え、そして次の瞬間、気を失う前の記憶が一気に蘇ってくると共に意識が完全に覚醒する。
自在法訓練中の事故。付き纏ってくる蝿。予期された、しかし予想外の敵の襲撃。『闇の雫』と『秩序の雫』の会話と戦い。そして俺への攻撃。
今、生きて『この世界』にいるということは、あの後、『秩序の雫』が勝ったということなのだろうか?それとも…。
そんな俺の思考が、ドアが開く音によって遮られる。
「あら、目が覚めたようですね」
そう言いながら入ってきたのは、優しそうな印象を相手に感じさせる四十過ぎほどの修道女だった。額の部分についている青い星を模した飾りが特徴的だ。
ついで、彼女の補佐官か何かなのだろう、紙の束を持った青年が彼女のあとを追うように入ってきた。
「貴方は?」
何かが記憶に引っ掛かっているのだが、思い出せそうになかったのでそう尋ねる。
「私はゾフィー・サバリッシュと申します。あなた方があの教授によって特異なフレイムヘイズとしてこちらの世界に来た経緯については、そこで寝ている彼女から聞きました。色々と大変だったようですね。」
うわぁ、原作の重要人物じゃないですか。あ、ということは。
「久しぶり、とでも言うべきですかな。まさか君が此方の世界に来ることになるとは思いませんでしたぞ、『存在の聞き手』」
やっぱり貴方も居るんですか、『払の雷剣』タケミカヅチ。
「お久しぶりと言うには、もう数百年以上が経っていますがね。しかし極東を、邪馬台国から大和王朝に至るまで神の一柱として守り抜いた貴方が、一神教であるキリスト教の修道女と契約するとは何と言うか意外ですね。」
『払の雷剣』とは紅世に生まれて暫くした頃、古代日本でフレイムヘイズとして活躍した紅世の王『夜月の鎮魂』(通称はツクヨミ)にその時代の日本の話を聞いたときに紹介され知り合ったのだ。
ついでに言えば、あの時の話は色々な意味で元日本人として衝撃だった。かの邪馬台国王女として有名なヒミコ(本当は『日巫女』と書くらしい)やイヨ(本当は『夷夜』と書くらしい)が実はフレイムヘイズだったとか。三種の神器は本当に宝具だったとか。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説の元になったのが、『邪馬台の大蛇(ヤマタイノオロチ』と恐れられた邪馬台国の宝具が宿ったミステスだったとか。
「我等が神と呼ばれたのは結果であって、そうなろうとした訳ではないのですぞ。」
暗に、そういったことで差別するな、という批難を込めてタケミカヅチがそう言う。
「すいません。キリスト教徒によって殺されたヨーロッパや中東、アフリカのフレイムヘイズの話を聞いていたから、どうも先入観がありまして。ゾフィーさん(なんとなく彼女を呼び捨てにすることは躊躇われた)にも悪いことを言ってしまったようで、申し訳ありません」
キリスト教徒によって殺されたフレイムヘイズがいると言うのは実際に聞いた話だ。古代においては、『払の雷剣』タケミカヅチが神として扱われたように、フレイムヘイズのことを巫女や神の使いとして扱っている地域が多かったのだが、それを完全に崩したのが、キリスト教やイスラム教等の一神教だった。彼等は異教徒としてそれらの地域を宗教的に弾圧し、そして従わない場合には殺していったのだ。もちろん人などより遥かに強いフレイムヘイズが易々と殺されるようなことは無かったが、それでも確かに被害は出たのだ。
まぁ、ただ、このキリスト教などによる弾圧は、それによって居場所を失くしたフレイムヘイズ同士が集まり、外界宿を作るきっかけを生むことにもなったので、長期的・歴史的に見れば完全なマイナスという訳ではなかったりする。
「かまいませんよ。過去にキリスト教徒によってフレイムヘイズが被害を被ったのは事実ですから。それに私は権力闘争に嫌気が差して修道女となったので、それほど熱心なキリスト教徒という訳ではありませんので」
「そう言っていだけると助かります。ところで、俺が気を失った後、どうなったのか知っていますか?」
怒った様子がなかったので、とりあえず、先程から気になっていたことを尋ねてみる。
「残念ながら、私達が大きな力の発現を感じて現場に向かったときは、もう戦闘は終わっていましたので、詳しいことは知りません」
そこまで言って、ベッドに凭れ掛かって寝ている『秩序の雫』を見ながら、何か面白いことを思い出したように、「ふふ」とゾフィーさんが笑った。
「ん?どうかしましたか」
「いえ、現場に着いたときのことを少し思い出したもので。彼女ったら泣きそうになりながら貴方に回復の自在法を使い続けていたのですよ。私達が到着して「そんなに使わなくてももう大丈夫」って言っても聞かなくて、「あんまり使いすぎると逆に毒になる」って言って漸くその行いを止めてくれたのですから」
大事にされているのですね。そう彼女が微笑みながら言う。
「え〜と、彼女って、『秩序の雫』のことですよね」
握られた手を軽く上げながら、それ以外に有り得ないだろうと解ってはいても、そう聞かずにはいられなかった。
だってあの彼女なのですよ。紅世に残した配下の暴走よりも、自分の数%の危険性の方が重要って言うほど自己中で、俺の頭を殴りやすい位置にあるからって理由で殴るような。
そんな彼女が、瀕死の状態だった俺を泣きそうになりながら助けようとするって言うのはどうも想像できなかったのだ。
「ええ、そうですよ」
う〜ん、ゾフィーさんが嘘を付くとは思えないけど・・・。
そんな俺の考えが顔に出ていたのか再びゾフィーが口を開いた。
「普段の行動と内心が必ずしも一緒だとは限りませんよ。むしろ緊急時の方が、普段押さえ込んでいる心の内側が出てくるものです。疑っては、あんなに一所懸命だった彼女がかわいそうですよ」
傷む首を動かして、再び寝ている彼女の横顔を見る。本来睡眠を必要ないフレイムヘイズであり、しかも紅世という睡眠の概念が無い世界で生活していた彼女が、ここまで深い眠りについているということはよほど疲れていたのだろう。
そこまでは確かに想像できるのだが………駄目だ、やっぱりどうしても、彼女が俺の為に泣きそうになるってことが想像できなかった。
そんな俺の様子に再びゾフィーさんは軽く「ふふ」と笑う。いや、そんな微笑ましげにこちらを見られても困るんですが。
微妙な沈黙が少しの間、場を流れる。それを破ったのはゾフィーさんだった。
「それと、これは彼女『秩序の雫』に聞かれて調べていたことなのですが…」
そうして彼女が青年から受け取った資料を見ながら、説明を始めた。
何でも、俺たちのように紅世の徒が体の支配権を握っているフレイムヘイズというのは、今まで噂としてさえも出たことがないらしい。
ただし、無理矢理フレイムヘイズとして『探耽求究』ダンタリオンによって召喚された紅世の徒はかなりの数になっており、フレイムヘイズとしての使命感が無い彼等はかなり問題になっているようだった。
説明を聞き終わった俺はあることに気が付いた。
「もしかして、俺が気絶してから数日が経っていたりします?」
そう、明らかにゾフィーさんの調べてくれた内容が、一日以内にできるようなものではなかったのだ。
そんな俺の様子にゾフィーさんは、また「ふふ」と笑って、
「ええ、貴方達と出会って既に三日が経っていますよ。『秩序の雫』さんも、昨日まではずっと貴方の看病をし続けていたのですが、今日になって眠ってしまったようですね」
マジですか?
「ここって、オストローデですよね?」
「ええ、オストローデの外界宿に隣接している借り部屋ですよ」
うわぁ、いつ消滅するかもしれないオストローデで、俺は三日も眠っていた訳か。怖いなぁ。
ああ、そうだ。この体じゃ、当分、自分で確かめられそうに無いから、あのことを聞いておくか。
「この町のトーチの数って全人口の何%ぐらいだか解ります?
遠くからでもかなりの歪みが感じられたので、結構な数だと思うんですが」
「トーチの数ですか。たぶん3〜4%くらいだと。それがどうかしましたか?」
ほ、良かった。あんまりよく覚えてないけど、確か原作で誰かが一割を超えたときとか何とか言っていた気がするから未だ大丈夫だ。
とりあえず、不思議そうな顔をしているゾフィーさんを誤魔化すために即興の嘘を付く。
「いえ、歪みの大きさというものを話でしか聞いたことがなかったので、体で感じた歪みの大きさが、実際にはどの程度の大きさなのか知っておきたかったんですよ。」
「確かにそれは話で聞いただけでは解りませんね。」
朗らかにそう言いながら、しかし突然、ゾフィーさんは身に纏う雰囲気を厳しいものに変えた。
「それで、一つ貴方に聞きたいことがあるのですが」
そう言ってゾフィーさんは言葉を一旦区切る。なんとなく彼女が言いたいことに想像が付いた。
というよりも、彼女程の人物が、わざわざ身に纏う雰囲気を変えてまで俺に聞かなければならないようなことなど、一つしか思い浮かばなかった。
「『このオストローデが消滅するかもしれない』というのは本当なのですか?『秩序の雫』さんは、貴方からそう聞いたということと、かの九亥天秤の一角、チェルノボーグもそれを肯定するかのような態度を取ったということしか知らないので、詳しいことは貴方が目覚めてから聞いてくれ、と言っていたのですが」
やっぱりか。何で『秩序の雫』はチェルノボーグといい、ゾフィーさんといい、そう勝手に情報をばらすのだろうなぁ。はぁ、とりあえず次からは完全に口止めするようにしなければ駄目だな。
とりあえず誤魔化してみるように努力してみるか。
「俺が『聞き手』として誰かから聞いた情報を無闇に他者に流すことを嫌っている、誰にも言わないことを条件に話を聞くこともある、などということを『払の雷剣』から聞いていませんか?」
まぁ、これは、大体の会話において聞き手にまわることが多く、俺が話したとしても自在法や自在式のことが大半だったために、何時の間にか周囲にそう認識されていたというだけの話なのだけど、こういう言いたくないことを聞かれたときには役立つ。
「君がそういう考えを持っていることは知っています。しかしながら都市が一つ消えるなどと言う事態を見過ごす訳にはいかないのですぞ」
そう答えたのは『払の雷剣』タケミカヅチだった。
はぁ、少しは彼が、俺が言いたくないってことを、察してくれるのではないかと期待したのだが、駄目だったか
「残念ながら、俺も詳しいことは知りません。ただ、オストローデが消滅するかもしれない計画があるということを聞いただけですから」
「誰からです?」
「こちらの世界から紅世に帰ってきた徒からです。彼が言ったことを信じるなら、とむらいの鐘に所属していたようですが。
真名やこちらの世界での呼び名はわかりません。偶然、向こうで合って、少し話をした時に自在法の理論を教えたお礼として、そう教わっただけですから」
嘘に嘘を重ねて誤魔化す。伊達に紅世で何百年も生きていない。予め相手の質問が解っているのなら、この程度の嘘を並べることくらい、嘘が苦手な俺でも出来る。もっとも、予め答えを考える時間のなかった質問に対しては、相変らず嘘が苦手なんだが。
それに完全な嘘という訳でもなかった。フレイムヘイズ派以外にも、この世界から紅世に戻ってきた徒に自在法の理論を教え、その代価としてこの世界での情報を手に入れていたのは本当だし、その中にはとむらいの鐘の使者を名乗る人物がいたのも事実だ。
何を思ったのか、彼が「高名な自在師である貴方の力をお借りしたい、ぜひともあちらの世界で我等の壮挙のために協力してくれないか」などと言ってきたときは流石に驚いた。
尤も、原作に関わりたくなかったし、狭間の世界での遭難確立が五十%近かったので、俺が自在法を教えた優秀な王を紹介することと引き換えに、何とか帰ってもらったのだが。
因みに、この世界から紅世に帰る『紅世の徒』というのはそこそこいる。
彼等は、この世界が嫌になったという一部の例外を除けば、大抵がヘッドハンター、つまり、とむらいの鐘や仮装舞踏会など大組織の勧誘員だ。
紅世にいる有能そうな存在に声を掛け、自分達の組織の一員としてこちらの世界に来させるという訳だ。とむらいの鐘なら、宰相『大擁炉』モレクが、仮装舞踏会なら、参謀『逆理の裁者』ベルペオルが、それぞれ手下を使ってこれをやっている。
以前に、『大擁炉』モレクがある紅世の徒(女性)を部下に引き抜かせた時、『闇の雫』チェルノボーグが暴走して組織にかなりの被害が出たことが有ったらしいが、まぁ、そういった笑い話が聞こえてくる程度には彼等の存在は有名だ。
「本当にそれだけですか?」
「君は稀に真顔で嘘をつくからな」
ゾフィーさんとタケミカヅチが問い詰めるように揃えてそう言う。まぁこの場合は間違っていないが、だからといってここで馬鹿正直に『都喰らい』を起こそうとしているなどと、その説明と共に言えば、歴史が大きく変わってしまう。
単に『都喰らい』が起こらないだけならいい。
だが、それによって、とむらいの鐘がより無茶な行動を起こす可能性があるのだ。
そんなことになれば間違いなくもっと多くの死者がでる。自分の言動でそんな引き金を引くことになるなど御免だった。
まぁ、既にチェルノボーグに俺たちが知っているということが知られた以上、それが引き金になる可能性があるのが頭の痛いところなのだが。
「俺が知っているのは本当にそれだけですよ。これ以上のことが知りたいのなら、敵の誰かを捕縛するなりして、聞き出すしかないでしょう。『聞き手』が聞いたことが本当だという保障は無いのですから」
「それでは、君はこの件をどう思っているのですかな」
タケミカヅチが尋ねてくる。流石というか何と言うか、少しでも多くの情報を聞き出すつもりらしい。
「どう思っていると言われても。
その危険が、可能性としては存在しているとしか・・・
そもそも、俺はこの都市に来るつもりはなかった訳ですし」
「なら何故此方に?」
「彼女が俺の聞いたことが本当かどうか確かめに行こうと言い張って、俺の言うことを聞かなかったんですよ」
ゾフィーさんが感じた当然の疑問に、つかまれた右手を上げながらそう答える。まぁ、まさか九亥天秤の一人がいきなり襲い掛かってくるとは思いもしないで、済し崩し的にOKしてしまった俺も悪いんだろうけどね。
「そうですか、ところで、『秩序の雫』さんが言うには、『オストローデが消滅するかもしれないというのは貴方の『聞き手』としての能力がそう感じたから』ということらしいのですが、先程、あなたが言ったこととの違いは、一体どういうことなのでしょうね?」
………まじ?
やばい、俺が言ったことが嘘だってばれた〜〜〜。
どうしよう、どうする、どうすべきだ、どうすれば。
まさか、あの時咄嗟に付いた嘘が、此処に響いてくるとは。
「さて、詳しく話を聞かせてもらいますよ」
ゾフィーさんその笑顔は凄く怖いです。タケミカヅチもお願いだから「全く、仕方がないですな」なんて言いながらバチバチと放電現象を起こすのを止めてください。
マジで俺にどうしろって言うんだよ〜〜〜〜。


