放電現象特有の音が響き渡り、それに伴って視界に入る光量が僅かに変化していく。
空気中での放電現象は、濃度が薄いとはいえオゾンとか窒素酸化物とかが発生する。だから、長期間その空気を吸う事は余り体に良くないらしいのに。噂で聞いただけだから、本当かどうかは知らないけど。
まぁ、フレイムヘイズだから関係ないか。
「それで、どういうことなのか説明してくれますよね?」
現実逃避していた思考がゾフィーさんの声で呼び戻される。
「…」
「…」
さすが、原作で『肝っ玉母さん』と呼ばれ、曲者ぞろいのフレイムヘイズたちを統率していただけのことはある。威圧感が凄まじい。体中の痛みで身動きが取れないこともあって、まるで自分がまな板の上の魚になってしまったかのような本能的な恐怖を覚えた。
だが、原作を変えるわけにはいかない以上、本当のことを話すわけにはいかないのだ。
「…」
「…」
ああ、窓から見える空が綺麗だ。
痛む首を無理矢理動かして、この胃が痛くなる空気から逃れるように視線を窓の外へと持っていく。
二羽の鳥が視界に入って、そして出て行った。俺もあんな風に逃げ出したいなぁ。
バチバチ、バチバチ、バチ
背後で、心なしか、放電の音が大きくなったような気がする。でも振り返ることはできない。正直、今のゾフィーさんを直視する勇気はないです。
バチバチバチ
放電音だけが響く沈黙が続く。
そして遂にそんな状況を打破する救世主が現れた。
「ふぁ〜あ」
聞いているこちらの気が抜けるような、そんな腑抜けた声と共に、『秩序の雫』が目覚めたのだ。
彼女は目を開けるなり、普段の威厳が全く感じられない可愛らしい寝ぼけた顔で辺りを見回す。
ブロンズの長髪が寝癖で広がっているのもポイントが高い。ああ、これが萌えか。そんな電波が飛んできた。
もはや先程までの重苦しい空気は消えていた。ゾフィーさんが所謂『空気を読めない人』でもない限り、もはやこの状況で先程のような質問をしてくることはないだろう。とりあえずは助かった。
しかし、俺がそう安心したのも束の間、俺と目が合った瞬間、秩序の雫がガバッという効果音が付きそうな程、勢い良く立ち上がり、そしてベッドの上で横になっている俺へと手を伸ばしてきた。
突然の事態に驚いて動けないでいると、彼女の手は俺の左頬を恐る恐るといった様子で撫で始めた。
? ? ? ?!
余りにも彼女らしからぬ行動に思考が疑問符で埋め尽くされる。
しかし、疑問の声を上げるよりも早く、彼女の手の動きが変わった。
左頬を摘んだかと思うと、そのまま力を加えて抓り始めたのだ。
「! ひたい、ひたい、ひゃに、ひゃめて〜」
痛みというよりも、驚きで、そんな悲鳴が口から出た。
しかし、それでも彼女は抓るのを止めない。
彼女がそれを止めたのは、俺が「このままだと本当に頬が千切れる」そう思い始めた、それから十秒ほど後のことだった。
手を頬に当てたまま彼女は口を開く。
「なんであの時、自分のことよりも、私への注意を優先させたのよ。
なんで、あの程度の攻撃であっさりとやられちゃうのよ。
なんで、ずっと気を失っていたのよ。
心配、したんだから。
幾ら名前を読んでも、何をしても目を覚ましてくれなくて、
本当に心配したんだから。」
そう言い終わると同時に、充血して赤くなった彼女の瞳から、涙が一筋、零れ落ちる。
「ごめん」
それを見た瞬間に、俺は心の底からそう謝っていた。
普通に考えれば、俺が謝る必要はなかったのかもしれない。彼女が言っていることは言いがかりに過ぎないし、そもそもこうなった原因の大半は彼女にあるのだから。
でも、彼女を目が赤くなるほど悲しませてしまったという事実は、彼女を目の前で泣かせてしまったという事実は、俺の心を根底から揺さぶり、そして自然に俺をそう謝らせていた。
案外、俺は女性には弱いのかもしれないな。
「本当よ。全く。今度私にこんな心配をさせたら、只じゃ済まさないんだから」
手を俺の頬から離しながらそう言った彼女の顔は、泣いているというのにとても綺麗に見えた。いや、俺のために泣いてくれたからこそ、綺麗に見えるのだろう。
「そうだね。気を付けるよ」
その言葉に苦笑しながら、そう言う。
とりあえず、その為に、理論だけは無駄に持っている自在法を使いこなせるようになろう。
そうすれば、敵から逃れるくらい、できるようになるはずだから。
それは、俺の思考が、数学的・理論的な研究を中心とする理学的な思考から、現実の実験や理論の実用化を中心とする工学的な思考へと変化していく第一段階だったのかもしれない。
「ごほん!」
何となく秩序の雫とそのまま見詰め合っていると、わざとらしい咳払いが聞こえてきた。
恐る恐る、痛む首を音がした方へと向ける。
あ〜、うん、その、何ていうか、結果として、完全に無視することとなってしまったけど、別にそれは態とじゃないわけで…
はい、ごめんなさい。今の今まで、完全に貴方に尋問されている途中だということを忘れていました。
そこには、呆れたような、怒ったような、何とも言いにくい表情をしたゾフィーさんがいた。
まぁ、尋問途中にいきなりラブコメを始められたら、そうなるよね。
「どうしたのよ?全く」
俺とゾフィーさんの間に流れる微妙な空気に気が付いた秩序の雫が尋ねる。
「いえ、何でもありませんよ。
お二人で話したいこともあるでしょうし、私達はこれで失礼させていただきます。
この部屋は怪我が治るまでご自由に使ってくれてかまいませんから」
そう言って部屋を出て行くゾフィーさん達。
よかった。少なくとも今は、俺への尋問を諦めてくれたらしい。
最悪、ゾフィーさんと秩序の雫の二人がかりで問い詰められたら如何しようかと思っていたのだけど、杞憂に終わってよかった。
「ゾフィーと何か有ったの?」
彼女たちが外に出て行くのを見送った後、秩序の雫がそう尋ねてきた。
「オストローデが消滅するかもしれないっていうのはどういうことか?と、問い詰められていたんだよ」
「アンタが自分の特殊能力で知ったんじゃないの?
なんで問い詰められるようなことになるのよ。全く」
そうだった。彼女にはそう言って誤魔化していたんだっけ。
彼女を誤解させておくのは拙いだろうし、「それは嘘だ」って言うべきなんだろうが…
そう言った後、俺、生きていられるかな?
はぁ〜、殴られるだけで済めばいいけど。
「その俺の特殊能力で知ったっていうのは嘘なんだ」
「…どういうこと?
『闇の雫』がああいった態度を取った以上、彼女達がオストローデで何かするつもりなのは確実だと思うけど」
うう、彼女の顔がみるみる険悪になっていくよ。言いたくないけど、言うしかないんだろうなぁ。
「いや、そうじゃなくて、俺の特殊能力で知った、というのが嘘なんだよ」
「じゃあ、どうやって知ったっていうのよ」
その当然の疑問に、俺はゾフィーさんに話した嘘を、より詳細にした作り話を話すことにする。
「前に、俺がとむらいの鐘の勧誘員に『千枝の鉱樹』を紹介したことがあっただろ」
「ええ、覚えているわよ。あの女が紅世から消えてくれた喜ばしい出来事だったから。
まさかあの女から聞いたとか言うんじゃないでしょうね」
そう言ったときの彼女の顔はまるで鬼のようだった。
「ち、違うって」
慌てて否定する。先程のゾフィーさんとはまた違うベクトルで怖すぎる。
「そのときの勧誘員に自在法を教えた対価として聞いたんだ」
「ふぅん。
まぁ、何となくアレが嘘だって言うのは気が付いていたからどうでもいいけど、全く。
アンタ、今いったことも嘘でしょ」
!!!なんでばれちゃうのさ。やばい、このままだと、秩序の雫とゾフィーさんのダブルアタックによる恐怖の尋問が…。
「そ、そそんなことないよ」
「今アンタがどもったのが何よりの証拠よ。
全く、相変らず嘘が下手ね。」
うわ〜、また引っかけられたのか、俺。orz
「全く、何でアンタみたいな解り易い奴を、あの女は『この世界における変数』なんて言ったのかしらね」
「それって、『千枝の鉱樹』が?」
かつて『千枝の鉱樹』に言われたことを思い出して、そう尋ねる。
「そうよ、全く、アンタがあの女の名前を出すから思い出しちゃったじゃない。
あの女、今思い出しても忌々しい。
なんで私があんなことを言われなきゃいけないのよ」
「いや、俺にそんなことを言われても…」
よく勘違いされるけど、別に俺と彼女ってそんなに親しいわけじゃないからなぁ。
「どうだかね。全く。
あの女はアンタの一番弟子なんでしょ」
「いや、彼女は俺が開発した自在式を片っ端から盗んで行っただけだから。
ことあるごとに「貴方というこの世界の因果律に含むことができない変数を理解するためには少しでも情報が必要」とか何とか言って。
まぁ、本人の強い希望で弟子ってことになっているし、実際にそう紹介したこともあるけど、一番弟子ではないよなぁ」
「そうだとしても、『青の華車』が言っていたわよ。「『存在の聞き手』が開発した自在法を最も受け継いでいるのは『千枝の鉱樹』であり、彼独特の考え方に最も毒されているのも彼女。故に、彼の一番弟子と呼べるのは彼女をおいて他にない」って」
ちなみに『青の華車』というのは俺が以前に自在法を教えた弟子の一人だ。聞いた話によると、自在法による広範囲攻撃が凄まじく、一部では殲滅兵器と呼ばれているとか、いないとか。そんな物騒な自在法を教えるつもりはなかったんだけどなぁ。
「でも俺が自分から『千枝の鉱樹』に何かを教えたわけじゃないからなぁ。その言い方には凄まじく違和感が。」
「ま、いいわ、それで、本当のところはどうやって知ったのよ」
「それは言えない。というより、俺自身よく解っていないことだから、説明しろといわれても、無理だ。」
嘘ではない。実際、なんで俺には人間としての記憶があるのかは全く解っていないのだから。
しかし、やはり秩序の雫はそんな言葉のトリックに引っ掛かるような者ではなかった。
「別に説明しろ、なんて言っていないわ。単にどうやって知ったのかを聞いているだけよ」
「だから言えないって」
「私が言えって言っているの。
あんたの意見なんて聞いていないわ。
言いなさい」
「これに関しては偽り以外のことは言えない。
誰に対しても、何をされても」
「この…」
秩序の雫が拳を振り上げる。
殴られる。そう直感し、思わず目を閉じた。
しかし、何時までたっても痛みはやって来ない。
恐る恐る目を開ける。するとそこには何かを後悔するような表情をした秩序の雫が居た。拳も何時の間にか下げられている。
しかし、それも一瞬のことで、俺と目線が会うと、直にいつもの表情に戻る。
彼女らしくない行動と表情に驚いていると彼女は口を開いた。
「その誰にも言えない秘密とやらは、アンタが『あの女の未来予測の計算式を破壊し尽くした存在』であることと関係が有るの?」
「どうなんだろうな。彼女が俺をそう呼ぶ原因の一つだとは思うんだが…
本当のことは彼女にも話していない以上、実際に如何なのかは解らない。」
「そう。彼女も知らないことなのね」
「こればっかりは誰にも話せるようなことじゃないんだ。
彼女が自分で気が付いていなければそうなるな」
彼女の場合、自分で気が付いてしまえる可能性がかなり高いんだよなぁ。あの能力は本当にチートだから。
「それは無いわ」
「?なんでそう断言できるんだ]
「うるさい、アンタには関係ないことよ。
いいわ、もうアンタにそのことは尋ねない。その代わり、アンタはずっと私の側に居なさい。
私がアンタの謎を、アンタに教えられるまでもなく、あの女よりも早く解き明かしてやるんだから」
その言葉に、紅世で『千枝の鉱樹』に付きまとわれる原因となった出来事と、その後に彼女に言われたことを思い出す。
『話したくないのならいいわ、私が貴方に付きまとって、貴方という変数を私にとっての定数へと変えてあげるから』
言っている雰囲気が笑えるほど似ていた。まぁ、自分から付きまとうか、側に居ろと命令するか、というところが見事なまでに真逆だが、それは二人の性格ゆえだろう。
二人の間でいったい何があったんだ?
「千枝の鉱樹に何か言われたのか?」
「別に。
ただ、あの女が解けなかったアンタの謎を解き明かして、あの女よりも私の方が上だということを証明してやろうと思っただけよ」
いや、あの万能の計算機に知識・思考系統で勝負を挑むのは自殺行為だと思うのだが。
世界を動かす因果律さえ計算できていた存在だからな。俺というイレギュラーのせいで、完全にその計算は狂ってしまったらしいけど。
「なぁ、秩序の雫、前から疑問に思っていたんだが、なんでそんなに彼女のことを敵視するんだ?
彼女が俺に付きまとうようになる前までは、二人して中立派の重鎮として活躍していたんだろ」
「アンタには関係ないことよ。それに元々、彼女とは仲が悪かったわ。それが、彼女が中立派を抜けたことで表面化しただけ」
到底それだけとは思えなかったが、彼女に追及を止めてもらった手前、本当にそうなのか尋ねることはできなかった。
「それならいいけど。」
「それと、これからこっちの世界では私のことは『ハルワタート』と呼びなさい。こちらでは通称で呼び合うのが普通らしいから」
「ハルワタート?………ああ、ゾロアスター教の七大天使の一人か」
自在法『達意の言』で調べた結果にそう呟く。
ゾロアスター教におけるアムシャ・スプンタの六番目で、水を司る。またその名前には完璧という意味がある、ということらしい。
完璧の意味を持つ名前を名乗るところがいかにも彼女っぽい。
しかし…
「なぁ、毎回毎回ハルワタートって呼ぶのは面倒くさくないか?」
正直、ハルワタートってなんか呼びにくいんだよなぁ
「そう?タケミカヅチとかよりは、呼びやすいし楽だと思うけど」
う〜ん、元日本人の俺からすればタケミカヅチは結構呼びやすいんだが、某小説では空母の名前になっていたぐらいだし。
「でもなぁ…
そうだ。普段呼ぶときは最初の二文字だけとって『ハル』でもいいか?
略称というか、渾名みたいな感じで」
「ハル?
まぁ、アンタがその方が呼びやすいって言うのなら別にいいわよ、全く」
どうやら、認めてくれたらしい。良かった良かった。
「そういえば、アンタの通称はもう決めたの?」
彼女にそう尋ねられ、そういえば考えていなかったことに気が付いた。
「いや、決めてないけど、
そうだなぁ、神様とかの名前を名乗るのは趣味じゃないし、この器の少女の名前であるハンナ・ミーユでいいような気がする。」
何となくの思いつきで言ったのだか、これは結構悪くない気がする。まさか前世での名前を使うわけにもいかないし、俺が神様の名前を使うなんて論外だからなぁ。
「アンタ、この器になった人たちのことを知っているの?」
驚いたような表情でそう尋ねてくるハル。
ああ、そういえばあの夢のことを言っていなかったっけ。
「この体に強制的に召喚されたその日に夢で会ったんだ。
大したことも話せずに直に消えてしまったけど、名前と彼女が望んでいたことは聞けた。
ああ、それと、他のフレイムヘイズが動けないのは、体の動かし方が解らないからだって教えてくれたのも彼女だよ。
だから、秩じ…、ハルがこうしていられるのは彼女のお蔭でもあるね」
その夢を見た理由が、鏡で器の姿を見て驚き余り気絶してしまったから、ということは黙っておく。態々、自分の笑い話を提供する必要はないからな。
「ふぅん、全く、そんなことがあったのなら言いなさいよね。
でも、それじゃあ、私の器となったのが誰なのかは解らないのね?」
「残念ながら。
やっぱり気になるのか?」
「別にそういうわけじゃないわ。ただ、あの時、一瞬だけこの体の持ち主と一体化したような感じがしたのよ」
「あの時?」
「ふん、アンタには関係ないわよ」
どうやら、その質問はお気に召さなかったらしい。機嫌悪く、そんな返事が返ってきた。
そんなに変なこと聞いたか?
何故急に彼女の機嫌が悪くなったのか考えていると、ハルが部屋を出ようとしているのか、ドアの方向へと歩き出した。
「どこかにいくのか?」
「アンタが目覚めたことだし、何か食べるものでも持って来ようかと思ったのよ。
ゾフィーが言うには、食事を食べた方が、元気が出るらしいから」
いや、それって人間の話でフレイムヘイズはあんまり関係ないんじゃない?
そう突っ込もうかと思ったが、そういえばこの状態になってから一度も食事を取っていないことを思い出して、止めた。
考えてみれば、およそ数百年ぶりの人間としての食事だ。食べなければ損ではないか。
さて、この時代の料理はどんな味なのかなぁ〜。楽しみだ。


